トロノキハウスができるまで

私と棚田の出会いは2009年・夏。リーマンショック後の経済混乱の中で自分を見失いそうになっていた時、ふと目にとまった「大地の芸術祭」の文字。現地に足を運んでみると、山道・林・棚田...里山のそこここに佇み主張する屋外芸術作品の数々。時を忘れて里山を歩きまわりました。

秋、稲刈り体験のために越後妻有を再訪。初めて会う人達と共に棚田で働き、話し、廃校となった木造校舎(池谷分校)の教室に寝袋で雑魚寝。翌日の帰途、越後湯沢駅で新幹線に乗り込み座席に体を沈めた時でした。疲れているはずなのに身体が軽い。不思議な感覚でした。

東京で仕事をしていると何となく体調がすぐれない時があります。越後妻有に足を運ぶようになって以来、自分にとってそれは棚田切れのサイン。いざ、東京脱出です。大清水トンネルの長い暗闇をぬけて越後湯沢駅に降り立つと、空気が変わったことに気づきます。階下の0番線ホームでちんまりと待っているほくほく線に乗り換えて出発。ひとつまたひとつ、トンネルを通過するごとにメタモルフォーゼ(変身)してゆきます。

そんな生活を続けて数年が経ち、里で暮らす多くの個性的な人たちと知り合ううちに、降り積もる雪さえ美しいこの里で、できれば棚田の近くで暮らしたい、そう思うようになりました。

2015年・冬、パソコンで何気なく古民家仲介サイトを見ていると、聞き覚えのある地名「蒲生」に目がとまりました。古い農家が売りに出されていたのです。思いもよらない出会いにすぐに現地へ。外観は古色蒼然。杉の大木に隠れるように建っている家のトタンは錆びて赤茶けていました。ところが、懐中電灯で屋根裏をのぞいてみると、煤で黒光りする立派な梁。百年以上変わらない時がそこにありました。「ここだ...」

止まりかけていた時間が再び動き始めました。設計は、越後妻有に移り住んで20年以上、古民家再生をライフワークとする建築デザイナーのカールベンクス氏と、地元出身の小野塚良康氏、そして私の共同作業。施工は古民家再生の職人集団・㈱星工にお願いしました。さらに、源流地域資源再生ネットワーク(通称trico)の池田徹氏とその仲間たちを巻き込んで、蒲生で出会った古民家への想いはどんどん膨らんでゆきました。

良いものを残し、コストを抑え、環境に余計な負荷をかけないよう、できる限り全ての再利用を試みました。柱と梁は補修し再塗装。朽ちた土壁は菜園の良い土になると聞き庭へ。古材も極力再利用し、それでも使えないものは薪として蓄えました。古家具・建具・備品も再利用。古い床や壁を剥がす度に現れる一世紀前の匠の技を目にしては、昔の大工の知恵と苦労に想いを馳せつつ、耐震性向上のため基礎や構造を補強。断熱性・居住性向上の観点から設備や照明、インテリアを工夫。古民家への敬意として元来の配色(黒・茶・白)を活かしながらも、濃淡の異なるアースブルーを加えて空間を引き締めました。障子紙に代えて着物のパッチワークをあしらった居室の格子戸は、夜には幻想的な光のコラージュとなり...

次々と発生する想定外の展開と悪戦苦闘するうちに工期は伸び、越冬工事となりました。当地は言わずと知れた日本有数の豪雪地帯。冬場の工事は朝の雪掘りから始まります。腰まで積もった雪をかき分けて玄関にたどり着き、ジェットヒーターで暖をとりながらの難工事でした。そうして2018年・春にようやく竣工しました。この場所の字名がトロノキであったことから「トロノキハウス」と名付けました。

[筆] トロノキハウス・オーナー